

細身ながらもピンと伸びた、ガンコそうな背中。幼い頃の私は、いつも仕事をする2人の背中を見ていました。改めて見直せば、それは厳しい修業によって身につけた技術で人様の家をつくり、弟子達の生活を守ってきた男の背中でした。祖父と父が守ってきたものは、もしかしてものすごく大きいのではないだろうか。それを俺は、古くさく感じていたのではなかったか。そう思った時はじめて、私は大工がどんな思いで家を建てているのかが見えてきたような気がしました。
奇抜なものや世間の目を引くようなデザインは、あくまで表面的なもの。 大切なのは住む人が心地よく、いつまでも住み続けたいと思えるような家を建てられるかどうか。それなら、その財産はすでにうちにあるではないか。自分の中で進むべき方向が見え始めたその時、私は一軒の古民家に出会ったのです。

それは、「お祖父さんの建てた家を壊したくない。何とか残してほしい」という依頼でした。その家を見た時、たましいが震えた、と思いました。 老朽化し、弱り果てた家は、それでもなお強い魅力をたたえていました。年代を経ても古さを感じさせない家。むしろ、気品と貫禄を感じさせる家。なぜなんだろう?知りたい。
この時すでに私は古民家の虜になっていたのだと思います。そして自分を惹きつけたものの正体に、いまなら思い当たります。それは、ひと言で言えば「思い」です。

何十年、いや百年以上もつようにと、考えに考えて組んだ木組。絶対にはずれないよう、工夫が凝らされた仕口。遊び心でしょうか?あえて曲がった木を使った和室。再生のため、古民家の構造をむき出しにしてみると、住む人を喜ばせたいという大工の「思い」が、わーっと溢れ出してきます。
そしてもう一つの「思い」は、住み継いできた人の思い。柱に刻まれた名前。磨り減った廊下。小屋裏にしまいこまれた古い道具。笑い、泣き、怒り、愛した、大勢の人の記憶を刻みつけた家は、年を経た大樹のように、やさしさと威厳を身につけています。
会ったこともない誰かの思いを、家を通して感じ取ることができる。そのことの不思議に、私はいつしか心を鷲掴みにされていました。