
瀬戸焼の窯元が点在する坂道の家。それが明治時代に建てられたK様邸です。
陶の枕と陶板をはめ込んだ塀に、最盛期の繁栄振りを覗わせるこの家を、建替えるのか再生するのか。この家の主はたっぷり2年間悩んだとおっしゃいます。
「大阪で長年勤めて定年を迎えたんです。妻も私も故郷は瀬戸。実家は母が1人で守っていました。私たちが戻るにしても、家はかなり傷みが激しくなっていたし、何とかする必要がありました。私はいっそのこと全部新しくして、エレベーター付きの3階建を建てようか、と母に言いましたがどうしてもうんと言いません。まあこういう地域ですし、古い町並みとの調和も考えて、それでは古民家再生をうたっている工務店を、いろいろあたってみようという気になりました」
玄関を入ると大きな吹き抜けと美しい木組み、重厚かつモダンな印象を与える黒と白の配色が目に飛び込んできます。中でも印象的なのが箱階段です。
「かつては本当に階段として使っていた箱階段も、もうボロボロでした。それをこんなにきれいに甦らせてもらって・・。松美さんに出会わなかったら、ここまでのことはできていないでしょうね」。そう言ってくださるK様に、松美と出会うまでの経緯をお聞きしました。
「私は何事も自分自身で研究して、納得してから事を進めるタイプ。だから、関西周辺で古民家再生を掲げている工務店を10軒くらい見て回りました。見学会や壁塗り体験などにも参加しましたよ。そうして得た結論は、心から真剣に古民家再生に取り組んでいる会社は少数だということでした。私個人の印象ですが、どうもお金の話が先行しているという気もしましたね」
「これがかつての我が家の写真です。古い昔の家で、かまってもいなかったので、だいぶ傾いていました。
建築屋さんやハウスメーカーに相談すると、ほとんどの人が"壊したほうが早い"と言います。でも、その人たちが建てている家を見せてもらうと、失礼ですが何だか玩具みたいで、その家に建替えたいなとはどうしても思えませんでした。
そんな時、ふと地元の愛知県で探してみようという気になりました。そうしてマツミさんのホームページを見つけたんです。
メールを打ち、返ってきた返事を見て、何となくウマが合いそうだなと感じました。そして、松浦社長と河合善行さんがやってきて、埃だらけの床下や小屋裏に躊躇なく潜っていく姿を見た時に、"へえ!"と思いました。しかも2人の答えは"この家を壊すのは勿体ないですよ"というものだったのです。
服が汚れることより、古い家を見られるのが嬉しくてたまらないという様子の2人に、思えばこの時つかまれたのでしょうね(笑)」

「床下から屋根裏まで、細かくチェックをした2人は、現在の土台の状況、柱の痛み具合、地盤の状態などを、写真を交えて事細かく説明してくれました。阪神淡路大震災を経験している私たちにとって、耐震補強は何を置いても優先したい事の一つでした。
そんな私たちにマツミさんは、揚げ方工事を行い、基礎を新たに造り補強をする方法を提案されました。当然予算のこともあり、ずいぶん悩みましたが、今は安心してこの家で過ごせています。
この家が再生できて、もともと再生派だった妻は大喜びです。かつてはトイレにつながる廻り廊下だったところが趣味の洋裁部屋になりました。洋服のリフォームも手がける妻は、"新しく一から縫うよりも、既にあるものをほどいて直す方が何が出てくるかわからないから難しい。マツミさんの技術力と自信のほどがよくわかる"と褒めていましたっけ(笑)。あ、彼女のお気に入りがもう一つ。工事中にふと思いついて、キッチンにつけてもらった天窓です。"光が入って明るいわぁ。我ながらいいアイデアだった"と自画自賛しています(笑)」
「この家を再生してしばらく経った頃、妻がふと見ると門の前にかつての同級生が立っていたそうです。そして"よくこの家を残したね、偉いわぁ"と褒めてくれたというのです。"みんなに見せてあげてね"と。
年月を経た家が壊されていくのを、しのびないと思っている人がやはり居るんですね。自分たちだけが満足しているのではなく、通りがかりの人までが喜んでくれていることに、なんだか胸が熱くなりました。
再生された家は、刻んできた歴史の厚みはそのままに、冬あたたかく夏爽やかな快適性を備えた、やさしい家です。社会の第一線を退いたいま、妻と二人、お互いをいたわりながら、じっくりと生活を楽しみたいと思っています。マツミさん、本当にどうもありがとう!これからもよろしくお願いします。」
